さとり世代「ぬくこ」の叫び!~尊厳溢れる令和の時代へ~

人と人が分かり合えず、戦争が絶えない 人類の究極の問題にメスを入れ、世界基軸教育による心の時代、令和Cityを構築しています^^ 認識が世界を変える。

私の出会った認識技術

認識が世界を変える。

 

あなたはこの言葉に何を感じるだろうか?

 

私はこの言葉に出会った時、

はたして何を言っているのか、正直分からなかった。

 

けど、今なら、この言葉ひとつひとつが手に取るようにわかる。

語彙力のない私は、どう表現したらいいか分からないほど、

今まで出会った言葉にふさわしい言葉があるのかと思うほど、

この言葉に感動しかない。

 

思えば、自己紹介もしてないし、

認識技術って初めて聞くし、

 

どういう経緯で、出会ったのかも何も話していないし、

いきなり?って思うかもしれない。

 

そんなことを無視してまでも、

今書きたいことがある。

 

そう、昨日(17日)の夜更けに、書き留めた、

私の感じた世界。

長くなりますが、読んでいただけたら嬉しいです。

 

辛い。辛い。辛い。苦しい。

 

そう、もがいていた昨日。

 

生きる希望とは裏腹に、

私自身が本当のことを、言えない。

心が思ってることを素直に表現することができない。

ただそれだけが、起こしてしまった出来事をきっかけに、

さとり世代の苦しみをも、さらに感じ、

その苦しさに、辛さに、いてもたってもいられず、

死の世界を味わおうと試みる。

 

夜更けの海にただひとり。

寒さも、真っ暗な海にひとりたたずむ怖さも忘れ、

ただ、その景色をながめながら、

この中に入っていこう、そしたらひとつになれるかもしれない。

そう決心するも、体が動かない。

怖がっている。

死というものの恐怖を。

 

 

そして、感じる。

知っている世界が、私が逝くことを邪魔する。

 

なぜ、わたしは看護師になったのだろう。

そんな疑問まで抱く。

 

ちょうど一昨日、運ばれてきた

CPRで、命はとりとめたものの、瀕死状態にある同い年。

 

急変で駆けつけに取り乱しながらも

懸命に声をかける家族を思い出す。

 

包丁を心臓につきさそうかと、思った瞬間、

循環器にいるわたしは、

手術を終えた患者さんを思い出す。

そして、手術をしてもなお、救えなかったその生命の数が蘇る。

 

医療者が、自らを絶つというこの行為は向いていないのかもしれない、

そんなことまで感じる。

 

昔、よく見ていたコナン。

いろんな死に方があって、これだと苦しまないですむかもしれない。

そんなことまで考えながら、

 

そんなことを感じてなお思う。

 

知っている世界が、こんなにも自分の逝く路を塞ぐのかと。

 

 

そして、そんな状況になってさえ

 

私が出会った認識技術は、すごいものだ。と感じてしまった自分がいた。

 

なぜか。

 

自分がその認識画面を作り出している。

 

それがすごくわかる。

 

全て、自分が作っているのだ。

 

苦しい、辛い、現実も。

楽しい、幸せな今ここも。

 

 

認識技術。

これは、

信じる世界でもなく、

スピリチュアルのような、必ず幸せになります! 

そんな思い方で人を操るような世界ではない。(否定しているわけではありません)

 

思い方でもなく、

やり方でもなく、

顕在意識(意識)を変化させるのでもなく、

その奥底に眠っている潜在意識(無意識)を観ながら、

そこからどんな自分が作り出されているのか、

どんなスクリーンを自ら立ち上げているのか、

そんな奥深くから、自分を知ることができ、

思い方や、やり方からではない変化を、

誰もが、自ら創り出すことのできる技術。

 

人類500万年の涙をも越えて、

出会う世界。

 

これ以上の技術が、道具が他であるなら、わたしは見てみたい。

 

 

あなたが、今ここ 苦しむのであれば、とことん苦しみを味わうことができ、

今ここ、楽しみたい。ワクワクしたいのであれば

それを自ら創ることができる。

自分が思うがままに、

自由自在に今ここの現実を創り出すことができる。

 

そんな技術だ。

 

それを思った時、

私は、苦しんでいる世界を作っているのは、まぎれもないこの自分だ。

そんなことを思った。

 

そして、苦しみを感じながらも、

この苦しみや辛さを味わうことができたことに、喜びを感じた。

初めて、死というものの恐怖を間近で感じることができた。

 

今もなお、15分に1人のペースで自らの命を絶っているという。

 

私が今回絶たなかったのは、

同じような苦しみや、辛さ、思いを抱えているこの世代を

ひとりでも多く助けていくためだと。

心のままに、ありのままに生きていくことの喜びを伝え、

あなたの心が思うままに生きることができるよう支えていくためだと、そう思った。

 

私はこの技術に出会ったおかげで、

助けられたのかもしれない。

 

そんなことを感じた今朝。

 

そして、今、もし命を絶とうとする人が、

そばにいるのであれば、

伝えて欲しい。私から言えること。

 

 

自ら生命を絶つ その行為に、

 

楽に逝く方法など、ない。と。

 

苦しみたくないのであれば、

何が苦しませているのか、まず、それを見ていきなさい。と。

もしかしたら、それは、絶つこと以上に、苦しいかもしれない。

 

けど、そこを見ていけば、

その先に希望はある。

暗闇の先には一点の光がある。

そこにあなたが心から望む世界が待っている。

私はそれを知っている。

 

そこまで共に乗り越えていく決断もしている。

だからこそ言う。

その苦しい現実から、共に、今ここわくわくできる現実を創っていこう。

 

 

 

最後に

一番、楽に、逝くとき。

 

それは、人生を全うし終えた瞬間なんだ、

 

私はようやくわかりました。