絶望こそが人間を育てる
人間は希望を幸せを求める
しかし不思議なものだ
絶望こそが人間を育てる
本当そうだと思う。
希望を
幸せを求めているときよりも
人生に
人間に
社会に
時代に
絶望したときこそ
自分に
人に
周りに問い
自ら考え、気づかせ
成長させてくれるものだ、と。
そしていま
わたしは
人生において
大きく分けると
2度目の絶望期。
絶望にも
2段階あるんだ、と気づかされる。
1段階目のときは
絶望こそが希望だ、と走り
絶望を絶望と感じれないくらい
前向きに生きるしかなかったとき。
周りから絶望だったね、と言われるけど
けろっとしていて、認めることもせず
あとになってやっと
あのときは
絶望だったんだ、と自覚した。
そして今回。
意識空間における絶望は
もはや
極限まで達し
無意識的にも
今まで閉ざしてきたものが
吐露され続けた
諦め
そして
絶望
なんで朝がくるんだろう
朝なんて来なければいいのに
このまま朽ちてしまえば
何もかも終わるのに
数日病人のように寝込み
人を
関係を
空間を閉ざしては
廃人と化し
やっと
少しずつ
認識できるようになってきた。
そして
2段階の絶望を越えた先には
予想もしなかった
予想をはるかに越える道があることも
ほんの少し
間を通過してみて
やっと
みえてきた。
絶望のさきには
絶望しかないって思ってたけど
そうじゃないみたい。
2段階の仕組み、すごいな、と。
それに
絶望も楽しむことからはじまるのかも
って
ほんの少し
思いました。
また記します。