生きること=死ぬこと
ここに書きたいこと
いつもいつもたくさんあるんだけど、
実際に出逢うことの方が楽しすぎて、
そこでの感動が大きすぎて、
ブログに戻ってくることを忘れてしまいそうになります。
さとり世代代表 ぬくこです。
そして、
書こうとすればするほど
書きたいことがどんどん出てきてとまらないから、
何から書こう、そんなことを思っている私であります。
が、しかし、
今、むっちゃ書きたいことはこれだ!
っていうのが出てきたから、
まずそこから出していこうかなって。
ここ数ヶ月の私の中での大きな気づきの中のひとつ。
生きること=死ぬこと。
話すこと=聴くこと。
絶望=希望。
どちらも、全く違うことのように、
対照的に見えるけど、
どちらも、同じなんだってこと。
どちらかが際立つからこそ、
その対が際立っていることに気づく。
どちらかの深さを味わえば味わうほど、
対の深さを知れるのだ、と。
そして、その尊さをより感じることともつながるのだ、と。
生きること 死ぬこと。
話すこと 聴くこと。
絶望 希望。
互いの難しさにすごくすごくすごく気づいたからこそ、
互いにもつ涙、喜び、感動と出会い、その尊さ、尊厳と出会える今。
ただ生きる ことの難しさ。
簡単ではない中で計り知れないほどの感動と出会い、
生きるということが、
儚く、脆く、尊く、美しいことを、知ったからこそこそ、
死ぬ
ということの美しさと出会うことができた。
いつか死ぬ からこそ、生きることの感動が生まれる。
裏を返せば、この世界に死がないのであれば、
生まれることもなく、
生まれたあと死ぬことがない、ずっとずっと永遠に生き続ける
そんな生物が、植物がいたとするならば、
もしそれが人間であれば、私自身がそうだとすれば、
今この一瞬に出会う感動をそこまで感じないのかもしれない。
そんなことを感じるこの頃。
あなたは、今なにを感じて生きていますか???
その感じたことに対して、どんなことを思いますか?
次回は、さとり世代が感じている、
諦め、絶望が、計り知れないほど希望であるということ。
そんなところから語ろうと思います^^