さとり世代「ぬくこ」の叫び!~尊厳溢れる令和の時代へ~

人と人が分かり合えず、戦争が絶えない 人類の究極の問題にメスを入れ、世界基軸教育による心の時代、令和Cityを構築しています^^ 認識が世界を変える。

生きること=死ぬこと

ここに書きたいこと

いつもいつもたくさんあるんだけど、

実際に出逢うことの方が楽しすぎて、

そこでの感動が大きすぎて、

ブログに戻ってくることを忘れてしまいそうになります。

さとり世代代表 ぬくこです。

 

そして、

書こうとすればするほど

書きたいことがどんどん出てきてとまらないから、

何から書こう、そんなことを思っている私であります。

 

が、しかし、

 

今、むっちゃ書きたいことはこれだ!

っていうのが出てきたから、

まずそこから出していこうかなって。

 

ここ数ヶ月の私の中での大きな気づきの中のひとつ。

 

 

 

生きること=死ぬこと。

話すこと=聴くこと。

絶望=希望。

 

 

 

どちらも、全く違うことのように、

対照的に見えるけど、

 

どちらも、同じなんだってこと。

 

 

どちらかが際立つからこそ、

その対が際立っていることに気づく。

どちらかの深さを味わえば味わうほど、

対の深さを知れるのだ、と。

そして、その尊さをより感じることともつながるのだ、と。

 

生きること 死ぬこと。

話すこと 聴くこと。

絶望 希望。

 

互いの難しさにすごくすごくすごく気づいたからこそ、

互いにもつ涙、喜び、感動と出会い、その尊さ、尊厳と出会える今。

 

 

ただ生きる ことの難しさ。

簡単ではない中で計り知れないほどの感動と出会い、

生きるということが、 

儚く、脆く、尊く、美しいことを、知ったからこそこそ、

死ぬ 

ということの美しさと出会うことができた。

 

いつか死ぬ  からこそ、生きることの感動が生まれる。

裏を返せば、この世界に死がないのであれば、

生まれることもなく、

生まれたあと死ぬことがない、ずっとずっと永遠に生き続ける

そんな生物が、植物がいたとするならば、

もしそれが人間であれば、私自身がそうだとすれば、

 

今この一瞬に出会う感動をそこまで感じないのかもしれない。

 

そんなことを感じるこの頃。

 

 

あなたは、今なにを感じて生きていますか???

その感じたことに対して、どんなことを思いますか?

 

 

 

 

次回は、さとり世代が感じている、

諦め、絶望が、計り知れないほど希望であるということ。

そんなところから語ろうと思います^^